介護士は辞めたくなって当然

介護士は辞めたくなって当然

施設で4年半働いていました。介護は実務経験3年以上で介護福祉士の資格取得試験が受けられます。その介護福祉士の資格取得の為の研修に行っている頃の話しです。

研修では、講義を聞いたり、グループワークをしたり、実技講習もありました。現場ではこうしてないか?それは一番良いやり方なのか?など話し合う時間もありました。

「利用者さんの立場になって」とか「より良い介護を」とか「介護者はこうあるべき」など、「良い」話しをたくさん聞きました。普段の自分の行動や言動を思い返してみると、反省すべき点がたくさん見えてきました。よし!こういうところを気を付けて仕事するぞ!と意気揚々現場へ戻ると、利用者さんの話を遮って自分の考えだけを話す先輩。

「何してるの、ダメダメ!」と利用者さんにダメしか言わない先輩。職員同士で集まって「あの人(利用者さんのこと)本気で無理。」「汚い、臭い」と言う先輩。帰宅願望のある利用者さんが一分と持たず「帰りたい、私は何でここにいるの。」と同じ事を繰り返します。それに対して「何回同じ事言わせるんですか!」と怒る先輩。そんな先輩しかいませんでした。

研修でどんなに良い話しをしても、現実とかけ離れているのです。

利用者さんに接する毎日は、辛いこともたくさんありました。こちらの言葉が全く伝わらず、唾を吐かれたり、叩かれたり、蹴られたり、酷いことを言われたり・・・たくさんあり過ぎてきりがないくらいです。でも、利用者さんに何かされるよりも、介護士らしからぬ先輩を見る方が辛かったのです。自分が研修で学んだことは、ここでは生かせない。そう思ってしまいました。

働いている間は、参加出来る研修には片っ端から参加しました。自分なりに勉強をして、自分なりの介護の仕方が出来る様になったつもりでした。しかし、介護は個人プレーではないのです。自分が良いと思うことだけをやればいい訳ではありません。報告、連絡、相談をして、現場の皆で話し合って仕事をしなければならないのです。尊敬できない先輩や上司の下で仕事するのはやりがいもなく、毎日ロボットの様に感情を殺して仕事してました。そうなるともう長くは続きませんでした。

同じ会社で5、6人介護福祉士の試験を受け、3人だけ受かったのですが、その3人とも辞めることになりました。資格を取った3人のうち2人は介護の仕事から離れてしまいました。介護の仕事を続ける為に介護福祉士の資格を取るはずが、いつからか介護福祉士の資格取得だけが目標になっていたのかもしれません。

看取り?

看取り?

私は特別養護老人ホームに勤めています。専門学校を卒業して、そのまま今の施設に勤めて5年目になります。特別養護老人ホームは、老人保健施設と違って、看取りまで行ってます。これからその看取りについてのエピソードを話したいと思います。

Aさんと言う要介護4の方がいらっしゃいました。よく職員や入居者様に話しをかけては冗談を言ってニコニコ笑ってる方でした。私もその方とすぐに打ち解け、冗談交じりで色々な話をしていました。ご家族の方もすごく優しく、何かあった時はすぐに来てくださるなど、協力的なご家族でした。

ある日の夜、Aさんがベッドから転落して、左大腿部の骨折がありました。病院に受診するも、年が年だからと言うことで、家族は手術を希望せず、そのまま施設に帰ってきました。ベッドから車椅子に移乗するたびに「いてぇー」と叫んでるおり、職員も悲しい気持ちになっていました。骨折のことがあってからAさんの食欲も落ち始め、ADLもどんどん落ち始めました。認定調査では要介護5に変更になりました。転落の件があってから家族とは少しだけギクシャクする部分が何度かありました。

状態も落ち始めた為、ご家族からは看取りで、主治医の指示に任せますと看取り希望が入りました。延命等はしなくていいと言うことです。 それから何ヶ月かたち、Aさんの状態は、落ちて、全介助の状態になりました。声もほとんど出ず、私たちが声かけるとニコっと微笑むだけでした。

それから食事も拒否を始めました。食事介助で口に入れても飲み込みませんでした。
それから、ベッドでの生活が多くなりました。少しずつ痩せ細り、肩呼吸も始まり、チアノーゼが出始めました。もう1週間は持たないだろうとみんなが思っていました。

その日の夜、私が夜勤で、何か胸騒ぎがして、Aさんの居室に向かいました。そこで、呼吸の止まっているAさんを見つけました。看取りの為、心臓マッサージなどせずに医務や、家族などに連絡をします。待機医務に報告し、ご家族に連絡しました。連絡するとご家族から

「なんで病院に運んでくれないんですか!今から行きます。救急車を呼んでください!」

と言い、電話を切りました。至急医務にそのことを報告し、心臓マッサージなどの指示が出たため開始しました。

なんで看取りになのにと思いながら心マをしていました。救急車より、家族と医務が到着したため、医務が説明し、搬送は無くなりました。

心配停止のまま搬送されると、司法解剖があり、施設に警察が入るようになります。本人のことを考えると解剖は嫌です。

看取りでと家族から話があっても何かあると搬送でと切り替わる家族はいらっしゃいます。家族の気持ちになればそうなるのが当たり前ですよね。

いきなり変わってしまうとあたふたしてしまうのもありますが、利用者さんが可哀想だなと感じてしまいます。言い方は悪いかも知れませんが、安らかに眠られたのにいきなり心臓マッサージされたりと。

介護をしていて一番嫌だなと感じた部分です。そのことを考えて何度か辞めたいなと思ったこともあります。ですが、これが普通なんだと自分に言い聞かせて今も仕事に勤しんでます。

高齢者介護の死に慣れなかった

高齢者介護の死に慣れなかった

5年ほど前に特別養護老人ホームで働いていました。
その時に介護職を辞めようと思ったことの話です。

福祉大学を卒業後、新規立ち上げの特別養護老人ホームで採用され、働き始めました。

5階建ての構造で1階がデイサービスフロアと事務所
2階から5階部分が入所フロアでした。
(4階部分の一部が短期入所)

特別養護老人ホームでは、入所待ちの利用者が100人以上という場所も少なくはないのですが、
その施設は、入所待ちも少なく、周辺地域での評判もあまり良くない施設でした。

そのため、職員の入れ替わりも多く、年間で100人近くの職員が退職するという状態でした。

職員が退職していくことで、新卒で入職した私も、半年を経ったころには、1ユニットの中では一番古い職員になり、ユニットリーダーの立場になりました。

地域の評判は良くなかったのですが、働いている職員は、利用者のためを思う、熱心な人が多かったように思います。

新規立ち上げの施設ということもあり、マニュアル等も整備さていないことで、たいへんな思いをして、マニュアルの整備も進めたり、初めての市町村監査も対応しました。

夜勤を含むローテーション勤務で、夜勤明けでもそのまま、夕方まで勤務することもありましたが、
仕事自体に対する不満やしんどいといった感情は、あまりなかったように記憶しています。

そのような状態で1年ほど過ぎ、業務も安定してきて、レクリエーションの内容を向上させようと
行動していたころです。

そのころ「歌」が認知症になっても、認知症がない高齢者の人でも、体が不自由な人でも
共通して楽しめることだと感じていた私は、レクリエーションの中でも「歌」の担当になりました。

利用者が80名ほどおられると、色々な趣味を持っていた人が集まります。

職員だけで音楽療法をするのではなく、利用者が発信する立場で音楽療法で進めるという方法をとっていました。

重度の認知症でしたが、歌うことが趣味だった利用者に一緒に各ユニットをまわり、音楽を楽しんでもらっていました。

普段は、話もまともにできないような方でしたが、音楽を流すと聞き入るような歌声で歌ってもらえて、表情も明るくなっていたのを覚えています。

ただ、夜になるとおむつ外しなどの行動があり、職員からは「大変な利用者」の位置に思われていました。

ある夜勤明けの日にその利用者の方が脳梗塞で救急搬送されたとの連絡が施設からありました。

夜勤明けで眠ろうとしていた時でしたので、翌日にお見舞いにいこうかと思いましたが、寝付けずにそのままお見舞いにいきました。

色々な管でつながれ、意識もない状態で、自然と涙がでていました。

その翌日には、亡くなられたとの連絡が入りました。

担当のフロア以外の利用者が亡くなられたことはありましたが、担当の利用者が亡くなることは、想像以上にしんどいことで、これから先、多くの人の死を目の当たりにすることがこれから、この職業をしていくことが不安になりました。

それからも介護職は続けていましたし、利用者が亡くなることもみてきましたが、
亡くなるということになれることはなく、今は、高齢者福祉から障害者福祉に職場を変えました。

ただ、レクリエーションでほかのフロアを回った時に「あの人は?」とほかの利用者が口々に話していたのを聞いて、最後まで人の記憶に残ることをできていたし、その手助けといえば、過剰になるかもしれないですが、その人にとって、生きがいを持ってもらえたことを思えば、人生の終わり方の介護の仕方は、大事だとも思います。

在宅介護のしんどさ

在宅介護のしんどさ

介護士は在宅で生活されるご利用者様に、介護サービスを提供するにあたり、どのご利用者様のおうちに何時にお伺いすること、という事業所のコーディネーターが決めたスケジュールに従って在宅のご利用者様のおうちにお伺いすることになります。

コーディネーターの役割をする人物は、ご利用者様の最新のご容体やご性質はもちろんですが、ご利用者様のお世話をさせていただくことになる介護士たちの性格、家族形態、そして得意分野を把握しています。

コーディネーターにはまた、どの介護士が、当日に急に、家族や本人の体調、または急な冠婚葬祭などの事情のために休まなければなならない、といった事情を考慮しながらの非常に臨機応変なスケジューリングが常に求められることになります。

しかしながら、介護士のスケジュールを決めるこのコーディネーターだけに、スケジュールの采配を任せることは、難しいことなのです。

介護の各事業所には、介護日誌などと呼ばれる、いつ誰が閲覧してもご利用者様の最新の事情がすぐに呑み込めるための大切な記録があります。

大きな介護事業所では、パソコン上でこの介護記録を書き込み、介護士や、定期的なご利用者様との面談が義務付けられているコーディネーターなどが、新しい情報を得て書き込んだとたんに、その情報をネットを介して全スタッフが共有できる仕組みが整っている組織もあります。

しかし、慢性的に人出不足な上、限られた予算の中で、それぞれのスタッフが、自身の体をフルに使っているからこそ日々の業務が成り立っているというのが、長年の日本の介護業界の現状です。

そういったこの国の現状にあって、ご利用者様のお宅から帰ったばかりの全ての介護士が、いつでもすぐに使えるだけの台数のパソコンを揃えることは、小さな介護事業所では経済的に、残念ながら不可能なのです。

加えて、ご利用者様ごとに、ケアプランと呼ばれる、介護の具体的な内容を考えることを役割としているケアマネージャーと呼ばれる立場の人は、3年に1度改定される介護保険制度を、その改定ごとに、細かな改定部分まで頭に入れておかねば、ケアプランを練ることができません

さて、日夜仕事をしている介護士にとって、もっとも苦しい時期の一つは、これらの全てがうまくかみ合わず、
ご利用者のお宅へ伺う日時の変更が、連日のように正しく伝達されない時です。

例えば、普段そのご利用者様のお宅に伺っている決まった介護士の欠勤が出たとします。

その欠勤を補うために別の介護士がお宅を訪問することになるのですが、
作業日誌を読んでも、これから伺う、ご利用者様の最新のご様子を把握しきれない場合があります。
なぜなら、作業日誌には、介護用語ではなく、看護用語と受け取れる、ご利用者様の持病についての記述が書き込まれている場合があり、初めて訪問するお宅のご利用者様の抱えられている症状を、一人の介護士が当日の数分の事前学習では、正しく把握することが困難であるからです。

事業所内や介護士の間で、インフルエンザが流行ってしまった場合は、次々と介護士の代役が必要になり、
コーディネーターが頑張っても、介護士が次の訪問先に到着する時間が間に合わないといった事態が続きます。

地域によっては車で移動、自転車で移動と様々な交通手段で介護士はご利用者様のお宅へ伺いますが、どうしても、人も時間も不足して、間に合わないのです。

介護事業所の皆ががんばっても、ご利用者様に負担が掛かる日々が数週間続いてしまい、連続する夜勤により睡眠時間が削られることが続いたスタッフたちが疲れ切っていき、こういったサイクルが数週間が経過してしまった場合に、私は介護の仕事を辞めたくなったことが何度かありました。

いつも辞めたかった

いつも辞めたかった

私の施設は介護老人保健施設で、2、3、4階とあり夜勤では介護士が各階一人ずつで3階のみ看護師もいるという施設でした。

私は4階だった為、夜勤は一人でした。平均32名を一人で見るのはすごく大変で、夜勤が終わるたびに辞めたいと思ってました。まさに介護ブラックって感じでした。

ある夜勤の日いつも通り業務をこなしていると、ガタガタ音がしてきてとても恐怖でしたが、音がする部屋に様子を見に行くと入所者の方が痙攣を起こしていました。

まだ入社して間もない頃だったので、その光景を見たときは手が震えました。すぐに看護師を呼びその方は無事でしたが、これから夜勤のたびにこのような緊急事態なことが起こるかもしれないと思うと、実力不足な私は不安で辞めたくなりました。

私の施設には、ボス的存在のおばさん職員が二人いました。

その方たちに目をつけられると、無視は当たり前、嫌いな職員に対してはあたりも強くとても働きやすい環境とは言えませんでした。ボス的職員が出勤している日は、皆が気を遣い自分の意見も言えずの状態でした。介護主任が注意したところで、全く改善されず逆に機嫌がが悪くなるだけでした。

私と仲良くしていた職員が、ボス職員にいじめられていた新人職員をかばったことでいじめの標的が、私の友達になりました。友達はそのいじめに耐えれずすぐに辞めてしまいました。その時私もすごく辞めたくなりました。

その後私の仕事対応が不満に思ったのかいじめの標的は私になりました。まず無視をされ、質問には答えてくれず仕事にならずでした。フロア移動もしてもらいましたが、入浴介助などで関わらないといけないため同じ感じが続いたので結局私も辞めました。

私が認知症フロアで働いていたときの夜勤で、その日新入所で入ってきた認知症のおじいさんがいました。
家族の方は泊まりだと伝えず連れてきたようで、日中はまだ穏やかでしたが夕方あたりからいつ帰れるんだと不穏になり大声を上げるなど対応が大変でした。

介護士だけでは対応できなかったため、介護支援専門員に連絡し話を聞いてもらいその場は落ち着くのですがすぐに話したことを忘れてしまうため、夜勤で一人になった時に大変だなと思っていましたが案の定夜中に起きてきて、鍵をあけろと大声をだしたり詰所に入ってこようとしたり椅子を投げようとしたりと、一人のためとても恐怖を感じました。夜勤のたびにこのような思いをしなければならいと思うと、とても辞めたくなりました。